Master. KYAMEI

空港の敷地を出て、ものの数分もすると港らしき風景が見えてきた。
霧雨にため視界が悪いが、大型のデッキクレーンや大型船の輪郭が霞んだ視界の中に浮かび上がってくる。そしてその中に...
あれは...イージス艦?ミサイル巡洋艦駆逐艦の類だよな。
俊弥は明らかに民間の船とは違う形の影を窓外を流れる風景の中に認めた。

「あれはどこかの国の軍艦?」俊弥は隣に座るレイナに尋ねてみた。
「ええと、アメリカの軍艦です。このへんの海の警備を手伝ってくれています。小さい国ですから自力では軍隊とか持てなくて。アメリカには色々お世話になっています」

なるほどね、まあ、さして珍しい話でも無いか。南国の楽園といってもやはり政治や軍事とは全く無縁ではいられないのだろう。俊弥は後方に流れ去っていく戦闘艦の艦影に少しばかり興ざめしていた。
「ところでその...プリンセスはどうして僕の出迎えに来てくださったんですか?」相手はどう見ても年下の少女だが、プリンセスと聞いてはそれなりの言葉遣いをしなければ成らない。もともと普段から敬語とかをきちんと使っていない生活をしていたから、妙にたどたどしい口調でレイナに質問する状態になった。そもそも..さっきから日本語で話をしているが、果たして日本語の敬語のニュアンスまで相手にわかるものかどうか。
かといって英語となるとますますどう話せば良いのかわからなくなる。英語だとこーいう時どう言えば良いのだっけ?「Your Highness」とか言うんだっけか?
そんな調子でぐだぐだと考えを巡らせていたが、レイナはあっさりと言い放った。

「えっと、キャメイがどうしても外せない会議あって代わりにアタシが迎えに来ただけで。それからアタシのことはレイナと呼んでくれればOKだから」
「えーっとそれじゃ、レイナ姫..」
「いや、姫とかイラナイから」
「でも、お姫様なんですよね?呼び捨てというわけには...」
「この島ではだいたいみんな呼び捨て」レイナは少しばかし悪戯っぽく笑った。
「たまに、プリンセスとか呼ぶ人もいるけどね。でもみんなレイナって呼んでる。だからあなたのこともトシヤって呼ぶわ」
急にくだけた調子になったレイナに俊弥は目を丸くした。
「あー、もう、やっぱり堅苦しいのはいけんね。とにかくレイナって呼んでくれればよかけん」レイナの口調がさらにくだける。くだけるというより、訛っている?
「あの、じゃあ、レイナは......」俊弥は何かを尋ねようとしたが、途中で言葉を止めた。
何がどうなってるんだ?この子はお姫様で、でも日本語しゃべってて、しかもこれは...博多弁?とにかく九州訛りっぽいが....
「なんね?なんね?」口調の変わったレイナは妙に子供っぽい感じで俊弥を見つめる。
「君はこの国っていうか、島っていうかのお姫様なんだよね?」
「うん」
「その、お姫様がなんで僕を迎えに?」
「え?だからキャメイが忙しいから代わりに」
「この国のお姫様はそーいう仕事をするモノなの?」
「そーいうわけじゃなくて....今日はヒマやけん、ちょっと朝早かったけど新しく来る人がどんな人か早よう知りたかったと」レイナはえへへという感じで俊弥に向かって笑いかけた。
その笑顔を見て俊弥は急に恥ずかしくなってきた。
こんな南の島で15,6の初対面の女の子と二人で横に座って話しをしている事実に少しめまいのようなものを感じた。
「どうかしたと?顔が赤いっちゃね?」レイナは俊弥の顔を覗き込む様にして言った。
「あ、いや、別になんでも..」俊弥が慌てて返事を返す。
俊弥の様子にレイナは不思議そうな顔をしたが、不意に窓外に視線を移した。

外の景色を見ながらレイナは何かを探している様だ。
「あー、見えてきたよ」
「ほら、あれあれ」レイナが何かを指差す。
「ほら、こっち来て」レイナは俊弥の腕をひっぱり自分のいる側に俊弥の体を引き寄せた。
広々としたリムジンの後部座席で少し離れて座っていたレイナと俊弥の距離が密着するような位置まで縮まる。小柄なレイナの頭が俊弥の顔のそばに近づき、少しばかりいい匂いがした。ごく薄い香水か何かの匂いとまだ子供らしい甘い匂いが混ざり合って俊弥の鼻をくすぐる。
少しドキっとしながら俊弥はレイナが指差す方角をレイナの頭ごしに覗き見た。
霧雨の向こう側にいくつかの高層ビルらしき影が霞んで見えている。雰囲気的には香港島のビクトリア湾沿いのビル群に似ているだろうか?
「あそこの真ん中のビルが経済産業省のセンタービルだから」レイナは俊弥に教えようと、俊弥のほうを見ながら言った。
だが俊弥にはレイナがどのビルを指しているのか良くわからなかった。
「ああ、そうなんだ」俊弥は良くわからないまま適当に相槌を打った。
「トシヤ、キャメイに会ったらきっとびっくりするとよ?」レイナは嬉しそうにそう言った。
君のほうがずっと驚きだよ....微笑むレイナを見ながら俊弥は心の中でつぶやき、窓の外のビル群に視線を戻した。


10分も走ると窓外のビル群ははっきり見えるくらいまで大きくなり、リムジンはその中のひとつが持つ屋内駐車場に滑り込んだ。
空いた道路をかなり飛ばしていたとは言え、空港からは20分にも満たない時間で到着した。
リムジンが停車すると、前席に乗っていた若い警備兵?がすぐさま先に降り、後席のドアを開けてくれる。
俊弥は車外に出るのが少しばかり惜しい様な心持ちになった。短時間ながらこのレイナ姫との空間がどうやら楽しかったんだな、と今更の様に自覚した。
こんな若い娘とすぐそばで会話するのももうずいぶん久しぶりな気もする。別におかしな気持ちになった訳ではなにが、やはり可愛い女の子となんだかよくわからないやりとりだったが、それなりにリフレッシュしたことは確かだ。
相手がお姫様じゃ、それももうこれっきりか。少し残念かもしれんな。
車外に降り立って体を伸ばしながら、俊弥はそんなことを思っていた。

警備兵は俊弥とレイナが車外に降り立つと後部のトランクから俊弥の荷物を出してきてくれた。それを見届けるとレイナは前に立って歩き始めた。
「さ、キャメイの執務室に案内します。着いて来て」


駐車場からビル内部に入ると、完璧に調整された空調が外部の湿気を含んだ空気から解放してくれた。レイナ、俊弥、少し間を置いてリムジンに同乗していた若い兵士が縦に並んで歩いていく。

まだ朝早いせいかビル内の通路を歩く人もまばらだ。
見ているとすれ違う人全員にレイナはなにやら声をかけていた。声をかけられた方は自然な感じで言葉を返すなり軽く会釈するなりしている。普通に朝の挨拶でもしてるんだろうが、この島ではお姫様というのは結構身近な存在なのだろうか?そもそも自分が考えているお姫様とは少し違う立場の子なのか?

しばらく歩くとレイナ、俊弥、警備兵の3人はビルの中央部らしい巨大な吹き抜けに到着した。吹き抜けの両側にはシースルーのエレベーターが6台づつ、計12台、向かい合わせに設置されている。吹き抜けを囲う各階の壁は全て透明なガラス壁である。
3人はエレベーターのうちの一台に乗り込んだ。最新の高層ビルにいかにもありがちなシースルーの高速エレベーターは3人をあっと言う間に地上40階まで連れて行く。エレベーターを降りると再び通路を歩き始める。

「ここっちゃ!!」ある部屋の前でレイナが立ち止まった。部屋の扉を開けて俊弥を中に招き入れる。
縦横15mくらいの部屋の窓際に大きめのデスクがひとつ。デスクの上には5コ口のテーブルタップとネットワークのケーブルらしきモノが2本出ているだけでほとんど何も載っていない。
入り口の反対側は大きなガラス窓になっていて晴れていればさぞかし景色が良いのだろうが、残念ながら霧雨に煙ってほとんど外の様子はわからなかった。

壁際には大きな書架とコーヒーメーカーなどが置かれたラックがあり、部屋の真ん中にはわりと大きめの応接セットが置いてあった。
「荷物はテキトーにその辺に置いて、そこのソファでくつろいでいるとよかね」レイナは応接セットのソファーを指差しながら言った。
「あー、そうそう忘れてた。」レイナはいっしょについて来た警備兵のほうが振り向いて何かを受け取ると、それを俊弥に渡した。よくある首かけ式のパスだ。
「これ一応ぶら下げておいて欲しいっちゃよ。これもってればこの辺は自由に歩けるから。えっとトイレはここでて左にあって...キャメイが来るまでここで待ってて。それじゃ」
それだけ言うとレイナは部屋を出ようとした。
「あ、レイナ姫」
「ん?」レイナは振り返った。
「えっと、ありがとう」俊弥はなんとかそれだけを口にした。
「どういたしまして」レイナは満面の笑みを浮かべた。ああ、本当に可愛い子なんだな、と俊弥はレイナを見ながら今更ながらに感じていた。
「じゃ、また」レイナは軽くそう言うと警備兵を連れて出て行った。

また、か、そうそうお姫様に会うことも無いんだろうな。俊弥の胸に不思議な感慨が湧いてきた。
よくわからないまま南太平洋の島国にやってきて、最初に会ったのがその国のお姫様だなんて、日本で実家の親や友人達に話してもきっと信じてもらえないだろうな。
これからここで暮らそうってのに、いきなりこれじゃ喜んでいいのかなんだかおかしな気分だ。
そういえばレイナ姫はキャメイに会うとびっくりするって言ってたな。まあお姫様に会う以上にびっくりすることも無さそうだが。
俊弥はそんなことを考えながら、革張りのソファーにどっかりと腰をおろした。
そもそも日本を夜に出発しての徹夜フライト、飛行機の中では眠れない性質の俊弥はここまでのちょっとした興奮から少し解放されて、不意に睡魔に襲われた。
居心地の良いソファーと適度な空調に促されるかのように、軽く眠り込んだ。



「あの起きてください?」何分くらい眠り込んでいたのだろう?女の子の声が聞える。
ミムラさん?」レイナ?いや違うな、俊弥は朦朧とした意識を急いで集中させる。
焦点の合わなかった目が、目前に立っている一人の少女の姿を映し始めた。レイナは違う。ショートカットの少女が短めのタイトスカートとスーツといういでたちで立っている。年のころは先ほどのレイナとあまり変わらない?あるいは少し上か?
「ああ、失礼、徹夜のフライトだったんで...」相手に通じてるかどうかも考えずに俊弥は日本語でしゃべりかけた....
『あっと、すみません。おはようございます。あなたは?』すぐに気づいてとりあえず英語に切り替えた。流暢とは言えないがまあ通じる程度には話せているはずだ。
「日本語でいいですよ?」少女は返した。
「お待たせしてすみません。レイナ王国経済産業長官のキャメイです。よくお越しくださいました、ミムラ・トシヤさん」
これか!レイナ姫が言っていたびっくりってのは....