ENJOY!


都心を離れ郊外へと向かう電車。
疲れた人々を乗せ混雑した車内で興奮にも座席に座ることができたゆりなはうとうとと眠りかけていた。
学校が終わると都心に出てコンサートのリハーサル。

遊ぶヒマも無く夜になり自宅に帰る。
自ら望んで入ったこの世界だけど、ふと虚しくなることもある。
今日はなんだ疲れたな。こういう日に限って…

今も止まらない体の疼き。
溜まったガスを抜く様に、時々桃子が戦いの相手をしてくれるけど。

未だに自分の力を制御しきれないことにゆりなは焦燥感を感じていた。
自分の力を不意に解放したくなる。
普通の人間相手に不用意に使っては相手を再起不能にしてしまうかもしれない力。

桃子相手にトレーニングしている時は発散できるけど、それにしたところで本当の全力で戦っているわけではない。
お互いが本気を出したら何が起こるのか。怖くて試す気にはなれない一方で、その力を使えという体の奥底からの声がどんどん大きくなっていた。

このままではいずれ…

ガタン。
電車全体が大きく揺れた気がした。
何?

空間が歪む。直感的にそう感じた。
閉じていた目をそっと開ける。
何?みんな止まって。
混雑した電車の中。全ての人間が蝋人形の様に止まっている。

「ヒィイイイイイイイイイイイイ」
何かの声?
電車の窓?外に張り付いている!
ゆりなは立ち上がって振り返った。
真っ白い人型の何かが電車の外側に張り付いている。顔は全てのっぺらぼう。
人数は?1,2,3・・・ゆりなは途中で数えるのを止めた。

アレ?車内に立っている人間がたくさん居るのにゆりなの体に当たらない。スルリとすり抜けてしまう。
やっぱりここは?

ギィイイイイイイ。電車のドアがこじ開けられる。
相手が入ってくるより先にゆりなは電車の外に飛び出した。
線路脇の道路に着地する。

間髪を入れずに襲い掛かってくる白い人型。
「ふひ!」不思議な叫び声を上げてゆりながその人型を長い腕で蹴散らす。
体の奥から快感がこみ上げる。
何人居るのかもわからない人型を何も考えずに全力で叩きのめし続ける。
電車は止まったまま。いや、周りの世界全てが止まったまま。
そんな不思議な場所でゆりなは嬉々として自分の力を解放していた。

まずい。ゆりなの潜在意識のどこかに不安がよぎる。このままだと自分が自分で無くなってしまう様な感覚。でも止まらない。

一瞬思考が途切れる。
その間に複数の白い人型がゆりなに迫る。
「このお」ゆりなは正面から迫る3人をまとめてなぎ倒す。

あたしもももちみたいに光の剣とか使えたら。
脳裏に桃子が日産スタジアムで見せた技が浮かぶ。

「危ない後ろ!」
誰かの声。
振り返ったゆりなに5人の人型が背中から襲いかかろうとしていた。

剣?5人とも光の剣らしきものを振り上げていた。
素手で止められる?

「お前ら消えちゃええええええええええええええええええええ」
ゆりなは思わず叫ぶ。
その声に反応するかのようにゆりなの周りの空気が激しく振動した様に感じた。
まただ?空間が歪む。

一瞬にして、目の前の景色が大きく歪んだ。
そして目の前の5人の体も大きく歪み・・・消えた?

ゆりなは周りを見回す。自分を襲ってきた人型は全て消失していた。
電車は止まったまま。世界は止まったまま。

さっきの声の主は?
「ここだよ」
ゆりなの脳内に直接響く様な声。
ゆりなは地面に何かが落ちているのを見つけた。
リラッくま?くまのヌイグルミ。

ゆりなはそれを拾い上げる。
「やっと逢えたね」
「あなた?」
「『くまちょ』って呼んで」
それって…桃子が自分を呼ぶ時の呼び方のひとつ。
なんか言いにくいなあ。
「くまちょ?」
「早く電車に戻って。世界がまた動き出す」
ゆりなはくまちょを抱えて電車の扉に向かってジャンプする。
ゆりなが車内に戻ると自然に扉が閉まった。
ゆりなは元の座席に何事も無かったかの様に座り込み、目を閉じた。

ガタンガタン。聞きなれた電車の音。
ゆりなが再び目を開けた時、目の前にはいつもの車内風景が広がっていた。

ただ違うのは膝に抱いたくまのヌイグルミ。
「ねえ?君」
ゆりなは小さな声で呟く。
・・・・
答えは無かった。

ゆりなは疲れた体を癒すようにそっと目を閉じた。