魔獣


巨大な獣はグルグルと喉を鳴らした。
舞波達は見たこともないその獣を前にして立ちすくんでいた。
全身を金色の毛で覆われた豹の様な巨大な野獣。


舞波達3人と獣の間に阿久津が立った。
まるで自分の背中で3人を守る様に。舞波にはなんとなくそんな風に見えた。

「あなた達にお願いがあります」
阿久津は静かな、そして真剣な口調で話した。
「この大きな猫ちゃんは私が相手をしますから、うちのバイト君達をスタジアムの外に運んでもらえませんか?」
阿久津はグランドに倒れたままの白い仮面の男達を指差した。
「ここで寝転がったまま、あいつとの戦いに巻き込まれると、さすがに命の保証はしかねますので」

「ちょっと待って」
舞波が叫ぶ。
「あなたは一体。それにあれは?」

阿久津が舞波の質問に答える前に、金色の獣が大きな唸り声を上げた。
聞いたことも無いような声を発しながら舞波達のいる方向に走り出す。

阿久津は陸上選手のクラウチングスタートの様に低く構えると、獣に向かって跳んだ。
低い姿勢から獣の頭の下に潜り込み、肩を押し込む。
激しい衝突音がスタジアムに響く。

「お前ら、はよそいつらを外に運び出しや」
3人の後ろから聞き覚えのある関西弁が聞えた。
つんく♂さん!」
「その仮面のやつらを外に連れ出すんや」
「でも」舞波つんく♂に何かを言おうとする。

「運ぶよ」
ゆりなは倒れている男2人をひょいと両肩に担ぎ上げた。
そのままスタンド席に跳び上がる。
「あたしも運ぶ」
桃子が1人を背負いゆりなに続く。
「石村、話は後や、早よう」つんく♂舞波を促す。
舞波はとりあえずこくりとうなづき、まずは1人を運び出す。

つんく♂も少しよろめきながら、更に1人背負って歩き出した。

その間にゆりなと桃子が戻ってくる。
2人で残り3人の男を軽々と運び出した。

「とりあえずここに寝かせておいていいよね?」
ゆりなはスタジアムの外のレストランの前の地面に8人目の男を無造作に並べた。

「さて、お前らどうする?」
つんく♂が聞く。
「どうするって」
舞波は戸惑いながらゆりなと桃子を見た。
「中に戻りましょ」
桃子は間髪を入れずに答え、すたすたと歩き始めた。
「あたしも行くよ」
ゆりなが後に続く。

何故だろう?ゆりなと桃子はまるで、目の前で起こっている不思議な出来事を全て受け入れているかのようだ。
自分はどうしても目の前の出来事を肯定できない。
なんともいえない気持ち悪さを感じたまま舞波は2人の後を追った。



飛び散る鮮血。
肩に喰らいつく巨大な野獣の首もとに拳を突き立てる阿久津。

スタジアムに戻った3人が見たものは苛烈な戦いの姿だった。
阿久津の周りにはおびただしい量の血液らしきものが飛び散っている。

肩に喰らいついたままの野獣の体を気合もろとも持ち上げた阿久津はそのまま10メートルほど先に投げつけた。

激しい衝撃音とともにグランドに激突する金色の獣。

だがすぐさま起き上がり再び阿久津に突進する。

「阿久津!」
舞波が思わず叫び声を上げる。

「おや?戻って来たんですね?」
阿久津は振り返らずに答える。
両腕で獣の前脚を受け止め押しかえそうとするが、相手はピクリとも動かない。
「ぐあ!」
金色の獣のもう一方の前脚が阿久津を襲う。
阿久津の左肩を覆う革のジャンパーが破れ、血液が噴き出した。

「ちょっと、アイツ死んじゃうよ」ゆりなが心配そうに口を開いた。

ぶん!獣が前脚を軽く動かしただけで阿久津の体は放り投げられ、スタジアムのフェンスに激突する。全身を切り刻まれ、血まみれになった阿久津の姿に舞波は戦慄を覚えた。

「あたし、アイツを助けるよ」ゆりなが、スッと舞波の前に立った。

「無理ですよ」消え入りそうな声が聞こえた。
阿久津の声だ。
「あなた達の力ではこの次元獣をどうこうすることはできません。早くここからお逃げなさい」
「じげんじゅう?」
「とにかく早く」
苦しそうな声で語る阿久津に次元獣と呼ばれた化け物がゆったりと近づいて行く。
舞波達の存在はまったく意に介して居ない様だ。


「このおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
ゆりなの叫び。
ゆりなが次元獣に向かって飛び出す。

ひゅん!

何かがゆりな目掛けて飛んで来た。
その何かは両腕でブロックするゆりなに激突する。
激しい衝撃音。

あれは?舞波はその正体を見た。尻尾?
巨大な魔獣の巨大な尻尾が高速でゆりなを直撃していた。

「うぇええええ」ゆりなは声にならない嗚咽をもらし、前のめりに地面に倒れこんだ。

「ゆりな!」
舞波はゆりなの元に駆け寄りたかったが、思う様に体が動かなかった。
恐怖?怖い。あたし、怖い。
舞波は自分の胸を苦しそうに押さえる。

ぐるるる・・・
次元獣は唸りを上げながら、再び阿久津の方を向いた。

一体どうすれば?この化け物を倒せるの?これは一体?舞波の頭の中を焦りと恐怖と疑問がぐるぐると駆け回る。

「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
舞波の背中越しに甲高い叫び声が上がった。
桃子?
そう思った瞬間、桃子がすぅっと舞波の横を通り、前に出る。
静かにまっすぐに次元獣へと向かって行く。
何かが桃子の右手で光った。
あれは?
桃子の右手は何かを握っている。
マイク?コンサートで使うワイヤレスマイクだ。
普段と違い小指もギュッと握った状態でマイクを掴んでいた桃子だったが、次元獣のそばに立つと、すっと小指を立てた。

「そこのワンちゃん?それ以上人に迷惑かけるなら桃子が許さないよ?」
桃子は金色の巨大な獣に話しかけた。
桃子、それ犬じゃないよ。舞波は内心でそう思いながらも突っ込むことすらできない。

次元獣は阿久津から目を離し。ゆっくりと桃子の方を向いた。
のっそりと前進し、突然桃子の前で前脚を上げて立ち上がる。鋭い咆哮。

ダメ、桃子がやられちゃう。
舞波がそう思った瞬間、桃子は跳んだ。
舞波は見た。桃子の右手からピンク色の光の筋が延びるのを。
あれは?マイクから光が伸びて。

桃子はその光の棒で剣を振り下ろす様に巨大な獣を切った。

次元獣が雄たけびを上げる。
その巨体から、体液らしきものが噴き出す。
しかし切り口が浅かったのか、再び桃子に突進。

桃子はマイクを両手で構え、真正面からピンクの光を次元獣の頭部に振り下ろす。

再び咆哮。

そして、巨大な獣はどさりと地面に倒れた。