アリーナ

1月最後の土曜日、舞波は横浜にいた。
横浜駅から徒歩5分の場所にある巨大なイベント施設、横浜アリーナ
朝の冷たい空気の中、週末2日間に渡って開催されるコンサートのリハーサルが行われている。
今では年に一度になってしまったお祭り。同じ事務所の女性アイドル達が一同に介して繰り広げられるパフォーマンス。年少の少女達から見れば、最年長の先輩メンバーは既にお母さんの歳。ベテランから、これからデビューする新人までが集まる華やかなお祭り騒ぎが舞波も好きだった。
アイドルを辞めた今もこの場所に立つと興奮してくる。

舞波」可動式のアリーナ席に立ってステージを見つめる舞波の肩を誰かが叩いた。
「桃子」舞波は振り返って笑った。
「どう?戻ってきたくなったんでしょ?」桃子は何も持っていない左手の小指を立てながら隙の無い笑顔で微笑む。
「うーん、どうかなー」
少し悩んでいる様にも取れる静かな口調。桃子はアレ?という顔で舞波を見つめた。
「何?ホンキ?」
そう言いながらなんだかよくわからないキャピキャピした感じのポーズを取る桃子。
舞波はそれを見てクスりと笑った。
「いやー、無理無理。アイドル業はプロに任せる」
舞波はそう言って桃子に後ろから抱きついた。
「何ぃ?もう」桃子がおかしそうに笑う。
舞波もつられて笑う。

「桃ちゃん」別の声が桃子が呼んだ。少し少年っぽい感じもするその声の主はゆりな。
「ステージ裏でうちらの打ち合わせやるって。舞波も一緒においでよ」
長身の少女は屈託なく笑った。突然舞波の前に現われたあの夜のゆりなからは想像もつかない感じだ。
お正月以来だが、もう大丈夫なのだろうか?
「私も居て大丈夫?」舞波が少し遠慮がちに聞いた。
「見学してってよ。なんなら一緒に歌う?」ゆりなはそう言ってえへへと笑う。

これが本来のこの子だ。
舞波は安心した。

「さ、いこいこ」桃子がゆりなと舞波の背中を押し、ロビーに繋がる通路へと出て行った。

「アレ?」
通路を歩きながらゆりなが首をかしげた。
「くまちょ、どうしたの?」桃子がたずねる。
「今さ、そこの階段のところ、パスを持ってない人が居た様な。なんかさっと隠れる様に消えて」
「まさかあ」
会場の出入りは厳重に警備されており、専用のパスを持たない人間は客を入れる時間までは誰も入れないはずだった。
しかし中野での一件もある。
「あたしちょっと警備の人に言ってくる。桃ちゃんは舞波ちゃん連れて先に行ってて」
ゆりなはそう言うと早足で駆け出した。
「ちょっと、ゆりな」

「桃子、ちょっといい?」舞波は真剣な顔で桃子を見た。
つんく♂さん探して知らせてきて?ゆりなが一人で」
舞波がそこまで言いかけた時、遠くから男のうめき声を様なものが聞えた。
まさか?

舞波は反射的に走り出した。声が聞えたのはスタンド席に上がる階段の上。ゆりなが行った方向だ。

誰も見てない。舞波は階段を登らずにジャンプする。
階段の中間の踊り場まで跳び、反転して上の階へ。
「ゆりな!」上の階でしゃがみこむゆりなを見つける。
舞波、警備の人が」
警備のスタッフが大の字になって倒れていた。殴られたのだろうか?鼻血が出ている。
「おい、捕まえろ」コンサートホール部分の扉の奥から声が聞える。
『会場内に不審者。会場内で何かを仕掛けようとしているところを発見。会場内の安全チェックを』倒れているスタッフの持つ無線機から連絡の声が流れる。

チャラララ、舞波のケータイが鳴った。つんく♂のバンドの昔のヒット曲のメロディ。
「もしもし、つんく♂さん?」
「石村、今どこや?熊井も一緒か?」
舞波は自分達の居場所をつんく♂に伝えた。




「きゃあああああああああああああああ」
アリーナ内に少女達の悲鳴が響いた。
リハーサル中に突然侵入してきた異様な男たち。全員顔に白い仮面を被っている。
最初は何かのドッキリだと思った子も居たが、警備のスタッフが殴り倒されるのを見てパニックに陥った。

他のスタッフがセット裏に避難させようと誘導する。

「ちょ、あんたら何ね!」
出演者の一人、田中れいなが仮面の男に捕まった。
1,2,3,4人。仮面の男は4人居た。

「おい、警察に連絡」まだ動けるスタッフの間で怒号が飛ぶ。
「ちょっと、あんたら何してんの」茶髪の女性が一人ステージに上がり、仮面の男の一人に手をかける。
「きゃっ」仮面の男はその女性を容赦なくステージの床に叩きつけた。
「中澤さん!」れいなが叫ぶ。
「放せ、この」れいなは自分を掴んでいる男の腕を叩くがびくともしない。


「待ちなさい!!」
会場内に新たな声が響いた。仮面の男たちが声の主を探す。
東スタンドの上、長身の影。そして南スタンドにも小柄な影。
全身黒ずくめのスーツに、バイザー付きのヘルメット。赤いマフラー。

「コンサート会場を荒らすなんて、何が目的。我ら正義のエージェントが成敗してくれるわ!!」ゆりなが声高らかに叫ぶ。
ちょっとゆりな、ノリノリすぎるよ。南スタンドからゆりなの姿を見ながら舞波は苦笑した。
「我ら、美貌レンジャー、マイハマン!!」
舞波がゆりなに続けて叫ぶ。
舞波だって結構ノッテルじゃん。ゆりなはそう思いながら舞波を見た。
お互いにうなづく二人。

仮面の男のうち二人がステージからダッシュした。ゆりなと舞波が居るスタンドに向かって跳ぶ。

「とお!」
ゆりなと舞波は同時にジャンプした。
空中で回転し、それぞれが仮面の男たちと激突した。

男たちはバランスを崩して墜落し、ゆりなと舞波はアリーナの通路部分に着地した。

「あれ?熊井ちゃん?でもあんなこと」ステージ上でれいなは目の前の出来事を信じがたい思いで目撃していた。