突入

桃子は連れ込まれた車の後部座席に寝転がる体制で天井を眺めていた。
車の中で足首にもガムテープを巻かれ自力で起き上がれない。
窓からの景色を見てもこの車がどこに行こうとしているのかはわからなかった。

「いいんすかね?こんなことやって?」前の座席での男たちの会話が聞こえてくる。
「いいわけないだろが?けどお前だって借金あんだろ?」
「まあ。それにしてもアイドルのコンサート会場らしいけど、あんなちんちくりんのガキのどこがいいのかなあ?」
「バッカ、ちんちくりんの方がアイドルオタク共に受けるんだよ」

前の男3人は悪人なのかなんなのか良くわからない緊張感の無い会話をしている。
それにしても、ちんちくりんで悪かったわね、桃子は心の中で悪態をついた。
外を見ようにも見えないし、とにかく腕を縛ったロープだけでもなんとかしようと、結ばれたロープの一部をなんとか掴んでその繊維を傷めようと努力していた。
常人ならば到底無理なのだが、桃子にはなんとかできる自信があった。これでお気にのネイルが何本かダメになっちゃう。桃子は昨日つけたばかりの新しい付け爪が傷むのを気にしながら黙々と作業を続けた。

10分、15分?
それほど時間が経った印象は無かった。車はある建物の地下駐車場らしき場所に入り停止した。
車の後部ドアが開けられ、桃子の体が起こされる。
ひとり、自分を拉致した男とは違うガタイの良いの男が、桃子を持ち上げ建物の階段を昇り始めた。
はっきりとは数えられなかったが、男の数が増えている様だった。ここで待ち構えていたのだろうか?

2階か3階か?良くわからなかったが、それほど長時間階段を昇らずに広い部屋に連れてこられた。
ダンスレッスンに使う様な広い部屋。窓はあるが、全てサンシェイドで覆われている。
部屋の真ん中にパイプ椅子がひとつ。桃子はそこに座らされた。

「ようこそ」ジャラジャラとやたらに派手な装飾のついた長いコートを着た男が桃子の前に立った。3メートルほど距離を開けて仁王立ちの姿勢で立っている。
濃いサングラスをしており、顔は見えない。
「ちょっと、なんなのお前、大声出すわよ」桃子は噛み付く様に叫んだ。
プリティアイドルが『お前』は良く無いですねえ。ここは防音工事済みのダンススタジオなんで、多少大声出しても良いですよ?」サングラスの男は低い声で返した。
かなり大柄で、髪を弁髪と言うのだろうか?モンゴルか中国の時代劇にでも出てきそうな、いや、どちらかというと格闘ゲームのキャラの様に結い上げている。

「あたしをどうする気よ」
桃子はキッとした表情で男を睨む。
「ご心配なく、別にエッチなこととかするために来てもらったわけでは無いですから」


「あ、やっぱそうなんだ」後ろで桃子を拉致した男たちの一人の声が聞こえる。少しガッカリした調子に桃子はイラついた。

サングラスの男は後ろの男たちを睨みつけると桃子の目の前まで進んだ。
「少し桃子さんの血を分けていただきたい。言わば献血とでも言うんですかね?」
桃子は男の声にハッとした表情を見せた。
「お前、阿久津?」
「はて?なんのことでしょう?」男は少しかがみこみ、椅子に座った桃子の両肩を掴んだ。
「ところでこの写真なんだかわかりますか?」
サングラスの男は数枚の写真を桃子に見せた。数日前の桃子と少年達の写真。
その中には少年のひとりが桃子に掴みかかろうとして空中に飛ばされる瞬間を撮ったものがあった。
「あの時のシャッター音はあなた達が」桃子は男を睨んだ。


ガタン。椅子が後ろに倒れた。男に倒されたのではない、桃子が自ら体重を後ろにかけて倒したのだ。椅子が倒れるより早く、ガムテープで縛られた両足を床に叩きつけてその反動で後ろに向かって跳ぶ。
ふわりと浮き上がった桃子の体が空中で後ろ向きに1回転して、見事に着地した。
ベリっと言う音と共に、桃子の足を縛っていたはずのガムテープが左右に裂け、桃子の両足が自由になっているのが周りの男たちにもわかった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
桃子は普段人前では絶対しないような雄たけびを上げて、自分が阿久津と呼んだ男に向かって突進した。
ビッ!両手を縛っていたはずのロープも切れてバラバラになる。

「ほほう、見事ですね」サングラスの男はそう言うと突っ込んでくる桃子の両手と自分の両手をがっちりと4つに合わせた。
「くお」桃子が言葉にならない声を発するが男は微動だにしなかった。




つんく♂さん、ももちの居場所わかったよ」着替えを済ませたゆりながカーテンを開け、自分のケータイを開いたままの状態でつんく♂に手渡した。着替えながら、ハンズフリーモードで桃子の母と通話していたのだ。桃子が一人で買い物に出たまま迷子になったらしいというゆりなの話に電話越しにもけげんな様子で応対した桃子の母だったが、身内だけが見られる桃子のケータイのGPSによる位置情報をゆりなにメールで転送してくれた。
「途中でケータイ捨てられたりしなければ、かなり近いな」つんく♂はケータイの画面に示された地図を確認すると車を発進させた。

「ところでこのスーツなんですか?それにこのヘルメット…」ゆりな同様に着替えを終えた舞波が後ろからつんく♂に声をかけた。基本的に黒基調で纏められたライダースーツ風の衣装。ひざ、ひじ、肩にはプロテクターが付き、精悍なデザインだが。
問題はヘルメット。まさしく戦隊ヒーローのマスクの様なサンバイザー付きの白基調のヘルメットが、スーツの精悍さをだいなしにしていた。

「そのスーツはな、最新の防弾チョッキにも使われとる素材でできとる。やわなナイフや小口径の銃弾くらいなら弾くシロモンや」つんく♂は自慢げにそう話す。
「ヘルメットにはハンズフリー通話機能にGPS、あと正体を隠すためのボイスチェンジャーもついとる。っと、石村、マフラーはどうした?」
「マフラー?」
「トランクの中にあったやろ、赤いマフラー。あれこそ正義の味方の象徴やで」
舞波は呆れながらトランクに残された赤いマフラーを見つけて首に巻いた。
「結構カッコいいですねえ」ゆりなは舞波とは違い、なにげに満足げである。
「せやろ?」
等と話をしている間につんく♂はワゴン車をある建物の前に停めた。4階建て、地下駐車場付きのなんのへんてつも無い小さなビル。
上の階はどの階もサンシェードで隠され、中の様子はよくわからなかった。
「ここですか?」舞波は聞いた。
「みたいやなー。けど、ケータイのGPSなんて大して精度あれへんし。うーん」つんく♂はそう言いながら助手席の下から何の箱をごそごそと取り出す。
「うわー、カッコいい」ゆりなが箱の中身を見て目を輝かせた。
「コンピューターによる自動操縦可能な、ミニ偵察ヘリや」つんく♂が取り出したのは不思議な形の円盤上の物体だった。上部に二重反転式らしきローターがついており、円盤の円周上4箇所にも小さな稼動式のファンらしきものがある。
つんく♂はそれを持って車を降りると、運転席上にノートパソコンを広げ、ドアを開けたまま片手でパソコンにコマンドを打ち込んだ。つんく♂の左手に支えられたままの状態で、驚くほど静かにローターが回転を始め、その円盤は宙に浮いた。
円盤が離陸するとつんく♂は運転席に乗り込み、パソコンを膝上に置いて操作を始める。
「まずは赤外線サーチモードや」
円盤はビルの各階の窓の外からサンシェイドに隠された室内を撮影し始めた。
当然室内は直接見えないが、赤外線センサーで室内の温度分布がわかるようになっている。
「すごーい」ゆりなはパソコンの画面を楽しそうに覗き込んでいる。
1階と2階には長らく使われていないらしき、冷え切った状態だった。
そして3階、突然パソコンに熱源のイメージが浮かび上がった。部屋の真ん中に小柄な人影と、それ以外に数人。明らかに人間と思われる熱源を探知する。
「よっしゃ」つんく♂はパソコンのキーをパチパチと叩いて、円盤をビルの窓ギリギリまで接近させた。
「可視光モード+ズーム」つんく♂はそうつぶやくと、画面が通常のカメラで捉えた画に切り替わる。サンシェイドの比較的大きく隙間が開いているところを狙ってカメラがズームをかける。

「桃子!」画面に映ったやや不鮮明な人影を見て舞波が叫ぶ。
「ビンゴやな」つんく♂はそう言うと円盤を呼び戻すコマンドを打ち始めた。





「お前、なんで」桃子はサングラスの男と力比べするような体勢になりながら、声を発した。
「桃子さん、中々力持ちですねえ。いいですよ、ホントに」サングラスの男は口元をにやつかせながら桃子に応じる。
「これだけ力があれば、並みの男では太刀打ちできませんねえ?でも電撃にはさほど強く無いみたいですが」男はくくくと笑う。
電撃?桃子は自分が最初に襲われた時の首筋の痛みを思い出した。あれはスタンガンか何か?たしかにあの不意打ちが無ければ、自分をここに連れ込んだ男たちにいいようにあしらわれるはずがない。
「色々と知りたくはありませんか?ねえ桃子さん?」桃子と両手を合わせたまま、サングラスの男は桃子の顔を覗き込む様にしてまたニヤリと笑った。
桃子が何かを言おうとした瞬間、後ろでガタンと大きな音がした。

サングラスの男が何かに気をとられたところで、桃子は手を離して横に跳んだ。

「ぐわ」「ごふ」桃子をここに連れてきた男たち、良くみれば、たいして強そうでも無い小汚い服装の男たち、が悲鳴を上げて床に倒れた。桃子が何かをしたわけではない。

「じゃじゃーん」バイザー付きの白いヘルメットを被ったノッポさんが、そう言って立っていた。全身を覆う黒っぽいライダースーツ風の服。
そしてその横にもう一人。背丈はさほど高く無いがやはりノッポさんと同じ格好。
新しい侵入者のそばには5人の男が気を失い倒れていた。

「ほほう。これはまたおかしなお客様ですね」サングラスの男は慌てる様子も無く、二人に視線を送った。