3人目の少女


桃子は街中をひとり歩いていた。
午後4時。太陽が大きく傾き、空が薄い闇に覆われはじめている。

マスクで顔を隠し、深く帽子をかぶり、周りの人間が自分が何者か悟られないように。
実際問題として、自分の顔を見てすぐに誰だか言い当てられるのはほぼ決まった人たちだけで、一般の人々から注目を浴びる可能性はさほど無かった。

それでも桃子はそそくさと歩き、他人との関わりを一切拒否するような空気感さえ出していた。


3日ほど前に見たニュース、背の高い少年が複数の不良少年を病院送りにしたとか。不良達に絡まれていた中年男性を助けるためだったらしいけど。そのニュースを見てから、桃子の心の中になんとも言えない不思議な感覚が発生した。

あたしは多分その少年を知っている。はっきりと誰だかわからないけど、きっと知っている。
その少年と自分の間には何か・・・

桃子はぶんぶんと頭を振った。
余計な事は考えまい。
既に新年のコンサートのリハーサルが始まっている。自分はいつも通り、カンペキにアイドルを演じ続けるだけだ。
自分で決めたゴールに辿り着くその日まで。

ふと桃子は立ち止まった。ゆっくりと振り返って、後方の交差点を見る。
交差点近くの電柱の後ろに人影。
反対側にももう一人。

いつもの人たちか。

別に見られて困るところに行くわけでも、誰かと会うわけでも無いけど。
多分写真週刊誌とかではないだろう。自分はまだその手のマスコミに狙われるほどには世間の注目を集めてはいない。
これも慣れた日常だ。

自分の行くところには誰かしらの影がある。自分をガードする事務所のスタッフも、追いかけてくる熱烈なファンも、桃子にとってはたいして違いは無かった。
自分の聖域に侵入する異邦人。

桃子は再び、ゆっくりと歩き始めた。
ゆっくりと歩いて、すぐそばの路地を曲がる。その路地の横は高い塀で囲われた屋敷があり、後ろから来る者から、一瞬桃子の姿を隠してくれた。

路地を曲がり、追跡者の死角に入ると同時に桃子はダッシュした。
幸いなことにその路地には他に誰も居なかった。あっという間に次の角に到達し、桃子は再度コースを変えた。
前から犬を散歩させるおじさんがやってくる。そのおじさんとすれ違うまで待って、桃子は別の路地に飛び込み、またダッシュする。

人通りの切れ目を狙って、路地から路地へと跳ぶ様に移動し、元の場所から500m以上離れたところで桃子はスピードを落とした。これで彼らはついてこれないだろう。

いつの間にか駅前に出ていた。
駅前のゲーセンのそばで、いかにもな風体の少年達がナンパしているのが目に入る。
片っ端から女の子に声をかけているが、断られても気にする風も無くゲラゲラ笑っていた。

桃子はなんとなくイラついた。

「ねえねえ彼女さあヒマ?」少年達は桃子に声をかけてきた。
「そんなマスクなんかしてさあ。ホントは結構可愛いんじゃないのお?」
桃子は声をかける少年達を無視して歩き続ける。先ほどまでの様子ならあと数歩我慢して歩けばそれで終わったはずだ。
「ほっとけほっとけ、そんなちんちくりん」少年達の一人がそんな風に声を上げた。
桃子は立ち止まり、その言葉を発した少年の方を振り向いた。
「うっさい。お前らウザイよ」マスクをしたままでも、はっきりと聞き取れる様に発音する。いつもの舌足らずな声をとは別人の様だ。

「なんだこのアマ」少年達が気色ばむ。
「おうちょっと待てよお前」リーダー格と思しき、体格の良い少年が桃子の肩を掴んだ。
次の瞬間、その少年は天と地とか逆さまにひっくり返り、そのまま背中に鋭い衝撃が走った。
「な、」他の少年達はあっけにとられてリーダー格の少年の体が一瞬で宙に浮き、そのまま背中から地面に落ちるのを目撃した。

「おま、ふざけんな」別の少年が桃子が掴みかかるが、桃子の体はするりと少年をすり抜ける様にして反対側に移動した。少年の手は空を掴み、そのままバランスを崩して倒れこんだ。
少年達には桃子が何をしたのかすらわからなかった。

「おい」先ほどまで地べたに座り込んでふざけていた仲間の少年達が一斉に立ち上がった。

「まだやんの?」桃子は低く、ドスの利いた声を発した。
「待て」地面に倒れたままのリーダー格の少年がようやく声を発した。
「悪い、ちょっとふざけてただけだ。とっとと行ってくれ」
他の少年達は不満そうな顔をしたが、リーダー格の少年が周りを睨みつけると緊張を緩め、あるものは地べたにまた座り込んだ。

桃子はマスクを装着したまま、少年達を鋭い目で一瞥すると、その場からスタスタと歩き始めた。

(カシャン)

桃子は何かに気づいた様に振り返った。
「ちょっとあんた達」桃子は少年達の前に踏み出した。
「勝手に写真撮ってるんじゃないよ」

「違うよ」ようやく起き上がったリーダー格の少年が両手をクロスさせて自分達じゃないと弁明した。
「でも今確かに」

「俺もシャッター音らしき音を聞いたけど、俺達じゃないよ」別の少年が言う。
「もし嘘だったらあんた達全員」
「ホントだって」

桃子は周りを睨む様に見回した。
桃子と少年達のやり取りを見ていたギャラリーが居たが皆自分じゃないというように顔を伏せた。

「なんなら俺らが今見てた奴らの持ち物検査しようか?」桃子に擦り寄る様に別の少年が提案してきた。なるほど、こいつらはこうやって生きてきたのね。桃子は激しい幻滅感を感じたがそれについては何も口に出さなかった。

「ありがとう」桃子は少年達に初めて笑みを見せた。といってもマスクをしたままなので、目だけが笑っている状態だった。少年達にはその様子がむしろ不気味にすら感じられた。

「でも、もういいわ」
桃子はそう言うと踵を返し、スタスタを歩き始めた。

少年達もギャラリーもあっけにとられて桃子の後ろ姿を見ていた。
誰も後を追うものは居なかった。