夜空


「なんで邪魔すんのさ!舞波!」
「あんまり大きな声出すと下の警官に見つかるよ、ゆりな」
7階建のビルの非常階段の踊り場で舞波は静かに答えた。
「わかってるよ」ゆりなは眼下に見える人ごみにちらりと目をやった。
二人はこのビルの非常階段の最上階部分に居る。非常階段への地上からの入り口は鉄柵で守られており、簡単には入って来れない様になっていた。

下では警官がうろうろしているが、二人が一瞬にしてこの高さまで跳び上がったとは想像もできず、上を見ることすらしなかった。

「私達を探してるね」舞波の声は冷静だ。
「いつまでもここに居ると見つかるかもしれないから、移動しよ」
そう言うと舞波は跳んだ。
非常階段を飛び出し、別のビルの屋上へ。さらに屋上から屋上へ。

ゆりなも舞波の軌道を追う様にして跳ぶ。

もしも、下から夜空を見上げた人間が居るなら、二人の少女の影を宙を舞うさまを目撃したろう。
「案外誰も気づかないね」舞波は少し楽しそうに下を見ながら言う。
今日は曇り空で月も隠れている。
「あはは、そうだね」しかめっつらで舞波を睨んでいたゆりなの表情がいつの間にかほころんでいた。

出来るのは判っていた。でもこんな風にビルの間を跳ぶのは初めて。
なんだか、アニメに出てくる超人みたいだ。体に突き刺さる風が冷たかったが、ゆりなの体と心は火照っていた。

「あそこ」舞波はビルの谷間が開けた先の公園を指差した。
公園にそびえ立つ高い木の間を慎重に狙って、自らの体を跳ばす。

暗がりの中、二人は誰にも気づかれずに公園に降り立った。

「さすがにここまでは来ないでしょ」舞波は自分達が跳んで来た方角を見た。
「そうだね」
ゆりなはキョロキョロをあたりを見回す。自分達が空から降りてきたことに気づいた者は居ない様だが、公園内には何組からカップルらしい人影があった。

「ちぇっ」ゆりな軽く舌打ちする。

「子供には目の毒だよね」舞波が笑う。
「ちょっとぉ、舞波だってまだ…」ゆりなそう言いかけて言葉を切った。
「あれ?もしかして?」ゆりなは舞波に近づき、顔を覗き込む。
舞波はゆりなの言葉の意味に気づき、あわてて顔を背けた。
「あたしにはそんな暇無いよ、受験勉強で手一杯」
「あはは、だよねー」ゆりなの口調からは好戦的な空気は完全に消えていた。

ただ、懐かしい仲間と再会して少し楽しくなっている様だった。

二人は近くの空いているベンチに腰掛けた。
「ねえ?」ゆりなが問いかける。
「何?」
舞波、なんで今日はここに居るの?」
「おとといのお返しだよ」
「仕返し?」
「お返し!」
舞波は笑う。
「覚醒」舞波はそう言ってゆりなの顔をじっと見た。
「ゆりな、あなたそう言ったよね?」
ゆりなは黙ってうなづく。
「じゃあ、やっぱりゆりなもあのクスリを飲んだんだ」
舞波はそう言ってふうっと息を吐いた。
「どうしてもゆりなの言葉が気になったから、この街に来たの。あなた達が事務所の裏が車で出てきて、それを追いかけるのは案外たやすかったわ」
舞波がさ、ベリを辞めたのってやっぱり、あのクスリのせい?」ゆりなが聞く。
「そう。あの時はまだこんな力は無かったけど。でもこれ以上続けちゃいけない違和感があった。ねえ?ゆりな知ってる?」
「何?」
「私達以外にあのクスリを使った子がいるか?」
ゆりなはかぶりを振った。
「わからないよ。あいつは何も教えてくれなかったし。ただ、他の子にも試してるらしいのはわかったから。舞波が辞めた時、もしかしてと思ってた、だから」
「確かめに来たのね?でも今頃どうして?」
ゆりなは立ち上がった。少しベンチから離れて左肩を前に出して立つ。
「我慢できなくなるの。体がおかしくなって」
ヒュン!!ゆりなの左拳が舞波の目の前に放たれる。
舞波は微動だにせず、その拳が自分の眼前で止まるのを見ていた。
「だからさっきみたいなことをしていたんだね。でも危険よ?わかってる?」
舞波は?無いの?自分の力を使いたくなること?」
ゆりなの顔から笑いが消え、悲しい表情に変わった。

「無いよ、今のところは」舞波は冷静な口調で答える。
「そう、いいね、舞波は。私は無理。どうしてもこの力を使いたくなるの」
ゆりなは悔しそうに地面を見つめた。

「なら、私が相手をしてあげる。他の人たちに見つからない様に。お互いにケガしない程度に」

舞波
「ゆりな、力をコントロールすることを覚えるしかないわ、私達は」

「そうやな、それしかないな。でもやっぱりどこかで使わんと無理かもしれんなあ」

「誰?」舞波はなんとなく聞き覚えのある関西弁に身がまえた。
ゆりなはポカーンとその声の主を見ていた。