正義の味方


夜8時、今日は事務所で打ち合わせだけを済ませ、雅はスタッフの車に送られて事務所近くの駅に降り立った。
歩いてもたいした距離では無いのだが、ファンの出待ちを避けるためにわざわざ車を使ったのだ。
じゃあ、また明日ね。一緒に降りた佐紀、千奈美、ゆりなにそう言って雅は改札に向かった。
あ、そういえばママに買い物頼まれてたんだった。まだお店開いてるかな?
雅は改札を通る直前でくるりと反転し、近くのドラッグストアに向かった。

人ごみを縫う様にして、夜だというのにまだ混雑している店内に入る。
母親指定のシャンプーの詰め替え用に化粧水なんかを手早く購入する。

今日は結構冷え込んできており、あまりぐずぐずして遅くなるのは嫌だった。

「てめえどうしてくれんだよ!!」
店を出た途端に荒々しい声が雅の耳に飛び込んできた。

如何にもチンピラ風の若者がスーツを着た50代くらいのおじさんに因縁をつけているようだった。昨日あんな事件があったばかりなのに。雅は暗い気持ちになったが、何もできない自分に苛立ちも感じていた。
周りの大人たちもただ遠巻きに見ているだけだ。

「あ!」雅は思わず声を上げた。
チンピラがおじさんを殴った。
おじさんは顔をおさえてうずくまる。

「止めろ、警察呼ぶぞ」群集の中から声がする。
「なんだあ?」チンピラが声がする方を睨んだ途端に静かになる。

「おっさん、立てよ。ただじゃ済まさないぞ」チンピラは一発殴っただけでは飽き足らないとでも言う様に、おじさんに掴みかかる。

「ただじゃ済まないのはアンタだよ!!」凛とした声があたりに響き渡った。
「あん?」

チンピラも周りの群集も声を主を探す。
群集を割って、背の高い少年らしき影が姿を見せた。ひょろりと背が高く帽子を深くかぶった若者。
目深にかぶった帽子とマスクで顔は見えないが、一見少年に見える。
あれって、雅はごくりとつばを飲み込んで見守る。

「なんだよ、ひょろいの。邪魔すんな」チンピラが凄んで見せた。
背の高い少年は無言で、左肩を前に出すようにして横向きになった。

「おい!」チンピラが声を上げた瞬間に、後ろによろめいた。
チンピラは慌てて自分の鼻を押さえる。
雅にも周りの群集にも何が起こったのかよく見えなかった。

下を向いたチンピラの鼻から血がしたたる。
「てめ…」チンピラがもう一度言葉を発しきる前に頭が後ろにはじけた。

雅にはかろうじて何が起こっているのか把握できた。背の高い少年の左腕が鞭のようにしなり、拳がチンピラの顔面を2回3回と弾くように打っていた。

ついにチンピラが後ろにのけぞって倒れた。

「おじさん、早くここを立ち去って」少年がうずくまっていたおじさんに声をかける。
おじさんはヨロヨロとしながら群集の後ろに隠れる。

「ふざけんな、てめぇ!」チンピラが立ち上がって殴りかかる。
しかし、その拳は何も無い空を切った。
ほとんど一瞬でチンピラの後ろに回り、少年の左拳がチンピラを襲う。

チンピラはナイフを取り出した。
だが少年の長い手はそのナイフをすっと避けてチンピラを叩いた。

チンピラの顔が見る見る腫れ上がり、がっくりとうなだれて膝をつく。

「あんたみたいのはね」
少年は凛とした声で言う。
「一度徹底的にやられないとわからないのさ。殴られる痛みを知るんだね」

今後は少年の長い右脚が蹴りあがった。

ダメ!それ以上ダメ!雅は嫌な予感がして心の中で叫んだが声が出なかった。

ガシ!チンピラに当たる前に少年の右脚が止まった。

少年の前に背のあまり高く無い、女の子?
黒い革ジャンにやはり革製らしきパンツ、それにバイク用のゴーグルだろうか?
漫画にでも出てきそうな装いで、女の子らしき人影が少年の蹴りを左腕で止めていた。

頭の側面に左腕を立てて、蹴りを受け止めている。

「お前」少年は相手を見て何かを言おうとした。
「もう止めなさい」明らかに女の子の声で、もうひとりの小柄な少女が命じる様に言った。
「この人、あまり感心はしないけど、これ以上やると危険よ」少女はそう言ってガタガタ震えているチンピラを見た。
「うるさい、こんな奴は」少年は右脚を下ろして激昂しながら声を発した。
「あなたは正義のつもり?」少女は問う。

あの子?雅はその少女の姿になんとなく見覚えがあった。
夜の暗さとゴーグルで誰なのか判然としない。

いや、そもそもあの二人は…
いくらなんでもそんなはずは…


「警察だ」誰かが叫んだ。
いつの間にか近くにパトカーが止まり、警官が何人か走り寄って来ていた。

「ちっ」少年は舌打ちすると、警官が走ってくるの反対側の群集の中に飛び込んだ。
そして少女も。
二人とも風の様に人々の間をすり抜け、近くの裏路地に消えた。

人間技と思えないその動きに息を殺していた群集がざわめく。

「どこに行った?」警官が二人が消えた裏路地に入ったが、二人の姿を見つけることはできなかった。