200Km

「ちょっと待って」スタンリーが皆に指示を出した直後に寺田が皆の作業を押しとめた。
「おい、いきなりなんだ。あんた達がシステムを入れ替えた方が良いと言うから」スタンリーは気色ばんだ声を出した。
「ここの管制システム必要に最低限必要な人数は?」寺田はスタンリーの態度は気にも留めない様子で冷静に尋ねた。
スタンリーは寺田を睨み付けたが、すぐに肩をすくめながら答えた。
「5人」
「ここには10人以上おるな。ここのオペレーションの交替要員は居るか?」
「もちろん居るが。昼前には別要員に交替させる予定だった」
「5人だけ、交代要員の中からなるべくあんたが信頼できそうな人間を選んで、ここに寄越してくれ。他の連中は一旦休ませたほうがいいな」寺田が声をひそめてスタンリーに告げた。
「どういう意味だ?」
「例えばもともと打ち上げに立ち会う予定だったオペレーターの誰かが買収されていたら?そもそも不正侵入なんかじゃなく、正規のオペレーターが微妙に異なるパラメーターを入力していたら?」
「多重化されたチェックリストで確認しているんだ。そんなことは」スタンリーは再び声を荒げた。
「ありえんと言い切れる?現にトラブルは発生した。これはあんたの経験から言って、通常のオペレーション内であり得るトラブルの範疇かい?」
寺田の言葉にスタンリーは押し黙った。
正直なところ、誰かのサボタージュなのか、単なる偶発もしくは悪意の無い人為的ミスなのか?スタンリーにはどちらとも判断しかねた。

「仮にここの人間のサボタージュだったとして、新しい5人が信頼できる保障は無いぞ?」
「わかってる。しかし人数は少ない方が買収された人間が混ざっている確率は減る。それにサボタージュなら、打ち上げの最終チェックに関わった人間の中に犯人が居る可能性は高い」
「そんなことは言い切れないでしょう」二人の会話に気づいた俊弥が間に割って入った。
「でも、人数を絞るのは賛成ですね」
スタンリーは頷き、管制室内のオペレーター達を外に追い出し始めた。






そろそろ昼になろうとしていた。
そういえば今日は日曜だったな。俊弥は甲板上から高く昇った太陽を見上げた。

システムの入れ替えと再起動作業は新たな5名のチームで着々と実行されていた。
俊弥は新しいシステムの初期起動には立ち会ったが、一旦やるべき事を伝えた後は特に自分でやるべきことは無かった。ここのシステムを熟知した専門家の方が効率的に作業できるからだ。

南太平洋の洋上の陽射しはかなり強いため、俊弥はデッキチェアーとパラソルを借りて甲板に設置し、チェアーに腰掛けてボーっと海を眺めていた。ロケットの制御ができる様になるのは、各種チェックをやり終える夕方になりそうだった。
俊弥の頭の中では別のことが気になっていた。俊弥は自分の膝の上でノートパソコンを開いた。そこにはスタンリーから貰った衛星軌道追跡ソフトが入っている。
現在はオフラインだが、なんらかのネットワークがあれば、ここのシステムと接続してリアルタイムに打ち上げたロケットの最終段の軌道を追跡できるはずだった。

パソコンの画面には模式化された地球の絵と、ロケットの軌道の図があった。そこには現在の起動と本来あるべき起動の2つが表示されている。
ロケットは現在高度800km程度のところをやや楕円形の軌道を描いて地球を周回している。

本来の軌道まではあと200kmほど地球から離れさせる必要がある。予備燃料の残量を考慮すると、ここに到達させるために加速する燃料は確かにあるが、一度でも問題が発生すると衛星を破棄せざるを得ない状況になると言う。

今回の件がなんらかのサボタージュだったとして、管制システムを完全にクリーンな状態で運用できるか?俊弥には一抹の不安があった。

「トシヤー、おはよう」不意に背後から元気の良い声がした。
レイナの声だ。
俊弥が振り向く間も無く、レイナは飛びつく様にして俊弥の背後から腕を回した。

「おう、おはよう。良く寝た?」
「うん。トシヤは?」
「全然」
俊弥はそう答えてから伸びをした。レイナはシステムの入れ替え作業が始まってからすぐに貴賓室で眠っていた。

二人の後ろにはミキティがいつの間にか姿を見せていた。
「どうだ、なんとかなりそうか?」ミキティが聞いた。
「あと200km」俊弥は答えた。
「何が?」
「衛星をあと200km高い高度に移動する必要があるそうだ」
「できないのか?」
「燃料がギリギリしかない」

「3日前に」ミキティが何かを話し始めた。
「ここの管制用コンピュータの一台のメモリーバンクに不具合が見つかって交換されている」
「?」
「あんたが停止を主張したコンピュータのうちの一台だ。交換されたメモリーバンクはここの倉庫に残っていたので、確保しておいた。今、うちの兵士が交換後のメモリーバンクも確保にあたっている」
俊弥はミキティの言わんとすることを理解した。
するとミキティが管制室に来なかったのはその記録を調べるためか。

「本当の故障ではなかったかもしれないと?」
「さあ、それはお前らが調べればいいだろう。テラダにも話してある」
ミキティはふふんという顔をした。

「ところで、ロケットを加速させればいいのか?どのくらい加速が必要かのデータはあるか?」
俊弥はミキティの問いにけげんな顔をしたが、自分が持つパソコンの画面を指し示して見せた。
「ここに必要な加速度、コースに関する情報はあるが」

「レイナ!」ミキティが俊弥にまとわり付いているレイナに声をかけた。
レイナははっとした顔をしてミキティを見た。

「やるの?」レイナは恐る恐るといった顔でミキティを見た。
「ああ」
ミキティの答えにレイナはうなづいた。

俊弥には二人のやり取りが何を意味するのか全くわからなかった。