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「あれって何だったのかな」かすかに揺れる車の後部座席で俊弥がポツリと呟いた。
「だからあれがさゆみんだって」隣でレイナが何を言っているんだという口調で返す。
「あれがこの国の守り神?」
「他に何があるっちゃ?」
「うーん」俊弥は納得行かない顔で窓の外を見た。小降りの雨がぽつぽつと窓を濡らしていく。いつものスコールか。ほとんど毎日の様にやってくる南国のきまぐれな通り雨には俊弥もすっかり慣れていたが、明るい強い陽射しと対照的な曇り空は見る者をセンチな感傷にひたらせる。
「ピンク色だもんなあ。クジラとかじゃ無いよなあ」
「あれはさゆみんに決まってるっちゃ!」レイナがぴしゃりと言い切る。
ピンク色の巨大な物体。
無機質には見えなかった。きっと何かの生き物に違いない。俊弥はそう思っていたが、それがこの島の伝説に残る海獣なのかどうか。
前回さゆ岬に来た時キャメイが話したところだと、さゆみんはこの島の守り神だが、時には岬に来た人間を襲うこともあるそうだ。
野生生物であれば、自分の縄張りを外部の攻撃から守り、必要最小限の食欲のみ満たす生き物もいるのかもしれないが、そもそも1頭だけで行き続けられるものか?よほどの長寿命の生き物であっても世代交代は必要だろう。するとあれが他にも何頭も生息しているのか?
あのサイズの生き物が繁殖に必要な最小個体数居るとして、科学的に有効な記録が全く録られないということはあるのか?
単なる伝説なら良いが、自分が現実に見てしまった物に対して俊弥はあれこれ考えをめぐらせていた。

「姫。本当に見たんですか?」前席で車を運転するアサミが尋ねた。
帰りも俊弥が自分で運転するつもりだったのだが、灯台のたもとから歩いて駐車場に戻る際になぜかふらついて尻餅をついてしまった。本人は全然元気だったのだが、レイナが心配してアサミに運転を命じたのである。
アサミの方は俊弥とレイナを車の中で二人きりにせずに済むために喜んで応じたが、俊弥とレイナが二人そろって後部座席に座り、時折レイナが俊弥に寄りかかる様にして話しをするので、少しばかり不機嫌になっていた。
まったくなんであたしがこんな…
「ホントに見たけん、ね?トシヤ?」アサミのそんな想いは我関せずとレイナが興奮した口調で答えた。
レイナはさゆ岬でピンク色の何かを目撃してから、終始ハイテンションで子供の様にはしゃいだ様子だった。
「あ、ああ」
「私も何度もあそこには行っていますが、そんなものを見たことは。さゆみんはあくまでも伝説だと思いますが」アサミは少しつっけんどんな口調になった。
「アサミがさゆ岬に行ったと?」レイナは体を座席から乗り出し前部座席の間から顔を出してアサミの耳元で尋ねた。
「え?あ、はい」
「誰と?」
「え?」
アサミは答えにつまった。
「あ、前、信号、赤」レイナが前を見て指摘する。
アサミは少し強めにブレーキをかけた。3人を乗せた車はなんとか停止線ぎりぎりで停車する。後ろからついてきている近衛兵の車も慌てて急ブレーキを踏んだ様だった。
「ちょっと、ちゃんと見とかんと危ないっちゃ」
「す、すみません」アサミは赤い顔で謝った。
「で?誰と行ったっちゃ?」レイナは少し意地悪な顔になった。
「な、何のことですか」
「さゆ岬って家族連れかカップルくらいしか行かないっちゃよ。アサミはお父さんお母さんと行くって歳でも無いし…」レイナがにひひという顔で悪戯っぽく笑う。
「いや、別に一人で海を見に行っただけで」アサミはなぜか必死な様子で説明する。
「ふーん」
「とにかく、さゆみんなんて非科学的です」アサミはなんとか話題を元に戻そうとした。
「な、お前もそう思うだろう?」アサミは話を俊弥に振った。
お前?俺のこと?俊弥はアサミをからかう様なレイナの様子をおもしろおかしく眺めていたのだが、急に話を振られてなんと答えたものだろうと考えた。
「あれがこの島の守り神なのかどうかはわからないけど…」俊弥は答え始めた。
「自分の目で見たものは否定しずらいな。明らかに生き物の様に動いていたし、クジラやイルカの類とは違っている気がするし。この島の周辺海域にまだ解明されていない海棲生物がいるのかもね」
「かいせいせいぶつ?」レイナがオウム返しに言った。
「海に棲むと書いてかいせい」
「そっか。トシヤはあれがただの生き物だと思うっちゃね?」
「存在は否定しないけど、伝説の守り神とかそういうものかどうかは俺はわからんよ」
「じゃあ」
「何?」
「今度さゆみんに関する資料を集めてもらうから二人で調べて見るっちゃ」
ん?何だって?俊弥は少し困った顔をした。
「二人って…」
「トシヤとレイナ」
「あの、姫…」アサミが口を挟んだ。一旦言葉を区切り、青信号を確認し、車を再び走らせる。
「必要でしたら、あたしが文献をあたりますが」
「大丈夫ちゃ。トシヤと二人で。ね?」
レイナにそう言われて俊弥は言葉に詰まった。
「OK、今度ヒマな時に調べてみよう」すぐにレイナが忘れてくれると良いが…その時はそんな風に思いながら俊弥は答えた。

全く、姫にも困ったものだ。アサミはこのやりとりを聞きながらそんな風に考えていた。さゆみんの話も、後ろの男のことも…だいたいなんだってこんな男をそんなに気に入って。
気に入っている?そうなのか?姫のこの男への固執ぶりは少しおかしい。何か理由があるのだろうか?
「姫?」アサミはレイナに声をかけた。
しかし何も返事は無かった。
「姫?」再度声をかける。
「しー」ミラー越しに俊弥がひとさし指を口にあててそう言うのが見えた。
レイナは俊弥の方に体を寄りかかった状態に眠りに落ちていた。
「このまま眠らせてあげよう」俊弥は静かに言った。
アサミは黙ってうなずいた。
3人を乗せた車は小雨の中を王宮に帰るためたんたんと走り続けた。