UNDER WATER

光、揺れる光、ゆらぐ影、水、魚、カラフルな魚、体にかかる水圧を感じながら体を捻り上を向く。太陽。水面越しのゆらぐ太陽。
息が続かなくなり、口元から空気を吐き出しながら水面に軽く昇る。
自分の頭が水面を割って空気の中に顔を出す。
途端に強い陽射しが顔を照らす。深呼吸しながら周りを体ごとぐるりとまわしてあたりを見渡す。10メートルほど離れたところにクルーザーの船体が見える。
クルーザーに向かって軽く泳ぎ、船体の側面に掛けられた梯子につかまって再度大きく深呼吸をする。

泳ぐのは何年ぶりだろう?俊弥は記憶を手繰り寄せてみたが、良くわからなかった。
多分最後に泳いだのは3年以上前だ。それも海ではなくプール。海となるといつのことだったのか全くわからない。
何年も泳いでなくても案外体が覚えているものだったが、全身に水圧を感じながら潜るとすぐに息が上がる。こりゃクルーザーからはあまり離れられないな。
昔はもう少し元気に泳げた気がするが。俊弥は少し情けない思いにかられながら苦笑した。

ざばっ!俊弥から4,5メートル離れたところに別の人間の頭が浮上した。立ち泳ぎをしながらシュノーケル付きのマスクを外し、俊弥と同じ様に深呼吸している。息が整うとそのまま背中を下にして水面にちゃぷちゃぷと浮かんで漂い始めた。
キャメイさんか、意外だな。俊弥は海面に浮かぶキャメイを見てそんな風な感想を持った。運動神経とかは無さそうな雰囲気だったが、島の娘なので泳ぎは得意なのだろうか?


キャメイは赤系統のおとなしめワンピースの水着を着ていたが、体つきはずいぶんとむちむちした感じだった。いわゆるプニって奴かね。ま、目の保養にはなるかな、休日がいつもこんな風ならこの島も悪く無いのかな。俊弥は10代の娘の水着を見て喜んでいる自分の単純さに自虐的な気分になりながらも、悪い気はしなかった。
そういえばレイナは?

「トシヤー」レイナの声だ。
クルーザーのはしごにつかまったまま、声のほうを見るとレイナが手を振っている。体は海の中なので水着は見えないが、海に入る前にみた時にはカラフルな蛍光色、ピンク、黄色、エメラルドグリーンなどの混ざったなんとも派手なビキニを着ていた。ただし、胸はかなりぺったんこだった。ちょっと小学生みたいだったけど。これは本人は言えないな。俊弥はそんな風にレイナの水着姿を思い出した。

「トシヤー、こっち来るとー」レイナが片腕を高く上げて俊弥を呼んだ。っとそのまま垂直にざぶんと海の中へ。あっと思って見ているとすぐに両手をばたばたさせながら浮かんで来た。そのまま少し落ち着くのを待ってから、再度俊弥に向かって声を発した。
「トシヤー、こっちにイルカおるとー。一緒に泳げるっちゃよー」そう言うとまた頭が海に沈む。どうやら立ち泳ぎで浮いたまま声を出せないらしい。大丈夫かよ?と思ってみているとすぐにまた浮かんで来る。このまま繰り返させておくとホントに危なそうだな。そう思った俊弥はレイナに向かって大声を張り上げた。
「わかった。そっち行くからゆっくり泳いでいて」レイナはキャメイ以上に運動神経は無さそうに見える。本人もなんとも思わずに泳いでそうだが、はたで見ていると心配になる感じだ。
俊弥はクルーザーを離れてレイナが浮かんでいる方に向かって泳ぎ始めた。
自分としてはかなり早く泳いでいるつもりだったが、たかが20メートルほどの距離を進むのにかなりの努力を要した。両足には潜水用のフィンを借りて着けているのだが、それでももどかしいくらい前に進まない。
ふと俊弥が横を見るとそこに黒っぽい大きな影があった。
驚いて泳ぐのを止めるとその影は俊弥の周りをぐるっと周回しはじめる。イルカだ。俊弥はなんとなくその場で潜ってみた。少しに間を置いてからイルカも俊弥について潜ってきた。もちろん俊弥とは比べ物にならない速さだ。水の透明度は高く、海中の中に入ったほうがイルカの全身が良く観察できた。
イルカは俊弥の泳ぐスピードにあわせて、ときおり戻ってきたりしつつ、付かず離れずの距離で泳いでいる。ただ泳ぐだけでなく、体をクルリと捻って見せたり、俊弥の目を楽しませてくれていた。人間が喜ぶことを知っているのだろうか?それとも自分の好きな様に遊んでいるだけだろうか?俊弥はちょっとイルカに触れてみたかったが、以前に何かの本で野生のイルカには触れないほうが良いというようなことが書いてあったのを思い出し、しばし一緒に泳ぐことにした。
と言っても、すぐに息が切れ海面に浮上する。海面に頭を出して何度も深呼吸してからまた潜ると、再度イルカが尾いてきた。
ちょっと調子に乗って、自分も潜りながら体を捻ってみる。するとイルカも真似をしてまた体を捻る。それを見た俊弥は海中で宙返りに挑戦してみた。だが、途中で大きく息を吐いた瞬間に水を飲んでしまい慌てて浮上する。海面でげほげほとむせながら必死で呼吸をする。やっぱり慣れないことをするものじゃないなと反省しているとすぐ近くにそのイルカが顔を出した。何を考えているのかわからないが、俊弥の顔を見つめてみる。
「トシヤ!」
振り返るとレイナがすぐ後ろに居た。
「自分だけずるかね。レイナもイルカと泳いだこと無いのに」ぷんぷんと怒った顔でレイナは俊弥を見ていた。
「簡単に泳いでくれるわけじゃないの?」
「近くには来るけど、なかなか並んではくれんと」
「この子なら大丈夫かもよ」俊弥は二人の周りをぐるぐると泳ぎ始めたイルカを指差した。
「やってみる」そう言うとレイナはざぶんとその場で潜り始めた。
俊弥はマスクだけつけて潜らずに海面から海中を覗くと、レイナについてイルカも潜り始めた。
意外とレイナは泳げる様で、俊弥よりは自由に水の中を楽しんでいる様だった。俊弥は深く息を吸い込むと、一人と1頭を追って水中に潜った。

俊弥はレイナが泳いでいるところに追いつこうとしてが、簡単には追いつけなかった。本人はかなり深く潜っているつもりであったが、実際は海面からせいぜい2メートルちょっとの深さを必死になって泳いでいた。レイナが俊弥に気づき、一度上に上がろうという合図を手で送ってきた。俊弥が反応を返す前にレイナは上を向いて上昇しようとした。
その刹那、レイナが右足のふくらはぎを両手で押さえる様にして体を曲げた。そのまま息を吐いてもがき始める。
足がつったのか?俊弥はレイナの危険を察知し、レイナのもとに必死で泳いだ。
全身の筋肉が悲鳴を上げる。にも関わらず水は重く、体は思った様に前に進まない。それでも俊弥はなんとかレイナの元にたどり着いた。
俊弥はレイナの後ろから両脇の下に手を回して、抱えるようしながら海面に向かって浮上しようとした。しかし、海でおぼれている人間を助けるのは想像以上に難しい。思った様には浮上せず、俊弥自身の息もほとんど切れかかっていた。一度レイナを離して浮上し、再度潜るべきか?そんなことを考えたがどうしてもレイナから手を離せなかった。
俊弥は不意に意識が遠のくのを感じた。必死で足を動かし、浮上しようとするがそれもかなわず、レイナを抱える両手から力が抜けた。レイナに向かって右腕を伸ばすが届かない。水の重さが自分から力を奪い、苦しさが絶頂に達した。そして....





げほ!俊弥は喉の奥から塩辛い海水を吐き出した。苦しみながら激しくむせ返る。あまりの苦しさにのたうちまわり、涙すら出そうになった。ゆっくりとまぶたを開けると強い陽射しといくつかの影が見えた。ふと、自分の体の下に何かやわらかいものがあるのを感じる。タオル。
「大丈夫ですか?」キャメイの声だ。ようやくはっきりと周りが見え始めた。どうやらクルーザーの甲板の上にいるらしい。寺田の顔が自分をのぞき込んでいるのも見える。
俊弥はゆっくりと体を起こした。となりを見るとレイナが水着姿のまま横たわっていた。「レイナ!げほ」俊弥はレイナに声をかけた。
「うん」レイナは小さな声だが、俊弥に反応すると軽くウィンクをしてみせた。
「レイナは大丈夫?」
「とりあえずは、大丈夫そうです」キャメイが答えた。「それよりミムラさんこそ大丈夫ですか?」
「ああ、多分」話してるうちに少しづつ苦しさは収まってきていた。
「あの、俺達はどうやって?」
「イルカ」となりでレイナがつぶやいた。
「イルカが引き上げてくれたんですよ?」キャメイが少し笑顔になって説明した。
「びっくりしたで、ホンマに」寺田が肩をすくめてみせた。
「イルカが2頭、自分とレイナ姫を背中に乗せる様にしてこの船に近くに浮き上がってきたんや」
「イルカが人助ける話は前になんかで読んだことあるけど、ホンマだったんやな」
俊弥はそれを聞くと、ふらふらと立ち上がった。
「もうちょっと休んでいたほうが」キャメイが心配そうに近寄り、俊弥に肩を貸した。俊弥はキャメイの肩に手を回しながら、ゆっくりと歩いて舷側の手すりに乗り出した。
「あ、ちょっと、気をつけて」キャメイの静止を無視して、俊弥は海を見た。
「イルカならどっか行ったで」寺田が後ろから声をかけた。
「そっか..」俊弥はそのまま舷側にへたり込むように腰を降ろした。ふと見るとレイナが少し怖い顔で睨んでいた。
「何?」
「トシヤ、いつまでキャメイを抱き寄せているの?」レイナはタオルの上に横になりながらも割とはっきりした口調で言った。俊弥が右横を見ると、キャメイが俊弥と一緒に舷側に座りこんでおり、俊弥の右腕がキャメイの右肩を掴んだままだった。俊弥はあわててその手を引っ込めた。
「それで良し」レイナは少し元気な口調になった。とりあえずレイナも大丈夫らしい。俊弥は安心して大きく息を吐いた。またあのイルカに会いたいな、そう考えた。とりあえずひとつ、この島に留まる目的が俊弥の中にできていた。