OCEAN CRUISE 1

俊弥にとって最初の1週間は目の回る様な忙しさだった。
初日に寺田から職場のメンバーに紹介されたあと、すぐにあるトラブルの調査指揮を任されたからだ。システムを開発する若いメンバー数人を紹介され、彼らがこの2週間解決できずに居る問題について、外部から来た新しい人間の視点でメスを入れて欲しいと言う。寺田にしてみれば、トラブルシューティングを任せることで、短期で俊弥に開発中のシステムの中身を理解してもらうことと、俊弥の実力の見極めを目論んでいるらしかった。

俊弥はまず初日に若い開発者3人とミーティングルームに篭った。まずはシステムの概要を説明させ、ホワイトボードにシステムの概要図を書かせる。ところどころで質問をさしはさみ、その場でデータフローや状態遷移といったシステム設計図を完成させて行く。描いたものはその場でデジカメにおさめ、その日の夜半には概ね問題のシステムの設計概要を把握していた。
まだ若い開発者たちはどちらかといえばとにかくプログラムを書くことのみに熱心であり、俊弥にやらされていることを最初は半ばいやいや受け入れていたが、俊弥が彼らからの情報を吸い上げ、物事を判りやすくするように図示していく様を見て、少しづつ俊弥のやろうとしていることを理解し始めている様だった。

2日目になって、ようやく問題の発生内容のヒアリングを始めた。職場に大型のプロッタプリンタがあることを聞いて、俊弥は初日に描いた図をA1サイズに大きく印刷し、問題内容を聞きながら、それまでに判明した事実のみを慎重に選り分けて、図の中の適切な箇所に書き込んで言った。その日が終わる頃には、俊弥の頭の中で設計の詳細レビューを行うべき場所や、ログ等を取って事実確認を進めるべき箇所などの青写真ができていた。

3日目に若い開発者達を解放し、それぞれに調査すべき事項を割り振った。自分自身は最初の2日間で得た情報を元にシステムの動作をシミュレーションするプログラムの作成に取り掛かった。そのプログラムは約2日で仕上げ、そのまま週末に走行させておく事にした。開発者達には自分達の設計どおりにシステムが作成されているかをチェックさせ、俊弥自身は設計そのものに問題が無いかのチェックを行おうとしていた。5日目に俊弥は寺田にほぼ1週間の経緯を説明した。寺田は俊弥の手順にほぼ満足した様であった。
その日の夕方、どうやらトラブルの原因のひとつらしき事が浮かび上がってきた。

俊弥は土曜日も仕事を続けるつもりだったが、寺田に止められた。最初の週から毎日深夜まで残る俊弥に寺田を少し肩の力を抜く様に忠告した。
「新しいとこ来て張り切るのはわかるけど、あんま頑張りすぎると潰れるで。とりあえずちゃんと設計をおさえられる人間が一人増えたことはわかったからな。週末はちゃんと休んで鋭気を養いや。またお姫さんとデートでもしてくればええで」寺田はそういって土曜日は休む様に促した。
「デートって...先週のあれは特別でしょう。彼女もそんなにヒマじゃないだろうし」実際のところ、俊弥が仕事は始めてから王宮でレイナと顔をあわせることはほとんど無かった。朝食事時に1,2回顔を見かけた程度だったが、声をかけることもできなかった。

俊弥は金曜日の深夜に部屋に帰ると、シャワーも浴びずにベッドに倒れこんでいた。



翌日、俊弥は目の前に広がる海をぼんやり眺めていた。白いデッキチェアの上に大きなパラソルを立て、Tシャツにハーフパンツ、腕と脚には日焼け止めをたっぷり塗って、デッキチェアに座り込んでいる。目の前で景色が揺れ、コバルトブルーの水面に日差しが反射する。少し先のほうを見ると、コバルトブルーの水面とエメラルドグリーンの水面がお互いにせめぎあうように境界線を作っているのが見える。
俊弥は昨日までの忙しさとはうって変わっての非日常的な景色を眺めながら、ふーっと大きく息を吐いた。
「なんやねん、大きなため息ついて?楽しないんか?」俊弥の隣で同じ様にデッキチェアに座る寺田がそう話しかけた。俊弥は自分の左側にいる寺田を方を見ると短く答えた。
「いえ、そんなことは」
二人は大型のクルーザーの前甲板の上に仲良くデッキチェアを並べて1週間働き通しで疲れ切った体を休める様に海を眺めていた。日差しは強く、気温は高いが、海を渡る風は案外冷たく、ちょうど良い体感温度を作り出していた。
「まあ、最初はあんなもんや。あのトラブルが落ち着けば、もうちょっとじっくり設計できるようになるから」寺田はこの1週間の俊弥の働きぶりを反芻するように言った。
「ほんま、三村さんに来てもろうて助かったわ。ここの若いエンジニアだけじゃ経験不足なんでな」
「その様ですね。やる気はずいぶんある見たいなんで、それなりに鍛えればモノになると思いますけど」そう答える俊弥の視界にふいにあるものが入ってきた。俊弥はがばっとデッキチェアから起き上がると、甲板の手すりを掴み海に乗り出す様な姿勢で何かを食い入る様に見つめた。
「お、なんやなんや、なんかええもんでも見つけたか?」寺田も身を乗り出す。

「ドルフィン、ドルフィン!!」二人の後方から女の子の声が響き渡った。
「おー、イルカかあ。ここらへんは野生のイルカがたまに船によってくるらしいで」女の子の声で寺田は俊弥が眺めているものの正体を理解したが、自分自身ではどこにいるのか良くわかっていなかった。
「で、どこにおるん?」
俊弥はそれには答えず、一心に海を見つめていた。
「三村さん、教えてえな」寺田が俊弥の腕を軽く掴んでうながした。
俊弥は、はっと我に返ると海の1点を指差した。
「ほら、あそこですよ、波の間にヒレが見えるでしょ?」
「え、どこ?」
「だから、そこ!ほら、今ジャンプした!」
「おー、ホンマや」

「トシヤー、イルカだよ、イルカー」俊弥はその声に振り向いた。クルーザーの操縦室の屋根の上に女の子が立ち俊弥に呼びかけていた。隣にもうひとり女の子が立っている。レイナとキャメイだった。
「トシヤ見えてるー?」レイナは興奮した様子で叫んでいる。
「ああ、見えてるよ」
「すごいでしょー、トシヤ」
「そうだな」
「え?聞えないよ?レイナもそっちいくけん」そう言うと、レイナは屋根の上から姿を消した。操縦室の後ろにあるはしごから下の甲板に降りようとしているのだろう。キャメイもそそくさと後を追う様にして姿を消した。
「ほんまカワエエ子やな、あのお姫さんは」寺田が感心した様に言う。
「あんな子とクルーザーとか乗せてもらえるわしらは幸せもんやで、な?」
俊弥は一瞬うなづきかけたが、素直にそれを認めることを躊躇した。海に視線を戻すと、数頭のイルカの群れがさっきよりもクルーザーに近づいて来ていた。
「トシヤー」レイナの声が後方から響く。後方の甲板から操縦室の横を通って前甲板の俊弥達の元に駆けてきた。少し勢いがつきすぎていたのか、俊弥の腕にどんとぶつかるようにしてレイナは止まった。
「ちょっと、危ないよ、レイナ姫」俊弥は少し照れたそぶりでレイナをたしなめた。その後ろからなんとなくニヤニヤした笑みを浮かべながらキャメイが近づいてきた。